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12/04/05
第3回 希望の国のエクソダス

2000年(平成12年)に出版された、『希望の国のエクソダス』(村上龍著)を読み返しました。
ちょうど一回り前の辰年で、社会問題をテーマにした著作としては、かなり年数がたっているのだろうと思います。
しかし、読み返してみて、著者の村上龍がこの本のなかで取り上げたテーマの数々は、現在も何ら色あせていない重要なテーマだと感じました。

主人公のASUNARO代表、楠田譲一(ニックネームポンちゃん)が、国会の予算委員会で、ネットを通して語りはじめる。
「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない。」と。
失われた10年と言われた後、失われた20年を越えた現在も、蔓延する閉塞感は一向に解消されません。もう、日が昇ることがないのかもしれない。2位でもいいじゃないの。明日は今日より豊かになっている気がしない。
そう言っている大多数の人は、それでも現状維持が続くと思っています。
しかし、豊かな資産を無気力な国民が、所有しているとき、歴史においては、必ず外部の狡猾な、そして力のあるものがそれを略奪しています。
「金融・経済・教育が『何もないけれど、希望だけがあった』時代と同じ価値観・システムを護持していく限りは、この閉塞感は払拭されない。」との、著者の考えは心に刺さります。

また、「今の日本の社会にはリスクが特定されないという致命的な欠陥があります。」とも言わしています。
「リスク管理が重要なのはおわかりいただけると思うのですが、リスクというのは特定できないと、管理できないのです。要するに2、3パーセントていどの確率で起きる中小規模のアクシデントやクライシスに対するリスクの特定はできているんだけど、0.000001パーセントの確率で起こる超大規模のアクシデントやクライシスにたいしては最初からリスクの算出はやらなくてもいいということになっているんです。・・・」

まさに、この考えが、原発事故の影響を大きくした最大の原因でしょう。
他にも、善意とは、またパブリックとは。また、希望と欲望の違いは。など様々な問いかけがされます。
この本では、これらの問題を抱えた中で、80万人の中学生が学校を捨て、新しい価値観を構築して行くことにより、日本の再生の糸口が見える、という構成です。
最後に、著者のことばを紹介します。
「現代について考えるとき、もっとも暗澹とした気持ちになるのが教育とメディアの現状です。コミュニケーション・信頼が基盤になる教育とメディアが機能不全を起こしている現実をどう捉えるのか?金融・経済・教育・ネットコミュニケーションに関する約3年に及ぶ取材がすべてこの作品に活かされています。現代を巡る絶望と希望を書き尽くす、という動機でこの小説を書き続けました。その成否は読者の判断に委ねようと思いますが、この物語を書き終えたときの充実感と不安感は、24年間小説を書き続けてきて初めて味わうものでした。村上龍

「著者の村上龍がこの本のなかで取り上げたテーマの数々は、現在も何ら色あせていない」
最初にこう述べましたが、12年経っても、解決されていない多くのテーマ。自分ができることからまず一歩、変えていかねばならない、そう思います。

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